ミヤコ蝶々
ミヤコ蝶々(ミヤコ ちょうちょう)は女性お笑い芸人として1927年にデビューしました。東京市出身の1920年生まれで、両親の離婚に伴い神戸市で育ちました。1927年に父親が結成した芝居一座の娘座長となり、1942年に吉本興業に所属。三遊亭 柳枝と結婚しましたが、浮気が原因で離婚。その後1947年に再婚しました。相手は弟子だった鈴夫で、後の南都 雄二です。翌年、夫婦でコンビを組み、「蝶々・鈴夫改め上方トンボ」として活動を始めると1949年にはラジオ番組をスタートさせましたが、覚せい剤中毒で入院するというショッキングな出来事がありました。しかしその後、民間ラジオ放送の司会を務め、人気を集めて行きました。1958年以降は女優としても活動を始め、ドラマや舞台で活躍しました。『男はつらいよ』の初期作品にも出演しており、寅次郎の実の母の役をしています。2000年に慢性腎不全で亡くなりましたが、その後も数多くの女優からその生涯を演じられています。